ニートなのにゲームが続かない
ニートが普段何をしていると思う?という質問に対し皆さんは何が思い浮かぶだろう。
僕の場合だと読書、ネットサーフィン、動画鑑賞(YouTube、アニメ、お笑いなど)、散歩、サイクリングなどなのだが、部屋にいることの多いニートを想像し、最もイメージされやすいのはゲームだと思う。
汚い部屋で画面にかじりつき、定位置から動かず、寝ず、夜な夜なモンエナなんか飲んじゃったりして日がな一日ゲームをプレイする。どうですかたやすく想像できたでしょう?
だがこのイメージに反して、ニートにも関わらずゲームを続けることがキツくなりつつある人もいる。それがこの僕だ。
少年の頃の熱中が失われつつある
もともとゲームが嫌いとかそういうのではない。
僕の家には、ファミコン、スーファミ、GBA、D S、Wii、Switch、プレステ(2以外)などがある。どれも一度は夢中になったものばかりで、幅広い世代のゲーム機に触れてきている。
つまり一般的にみてもいえばゲームは好きな方なのである。
特に少年だった頃はすごく楽しんでゲームをしていた。それはそれは純粋な気持ちで。特に小学生の時なんかは学校から帰ってきたらまずDSをつけていたと思う。小学校入る前もスーファミでよく遊んでいた(何周もドンキーコングやってたな)
親とゲームカセットを買いに行った時なんかは、家に着くまで本体がないのにも関わらず、帰りの道中でパッケージを開けたり、一刻も早く家に帰ろうと言って親を困らせたりしていた。こんな経験は子供の頃からゲームが好きだった人なら共感してくれると思う。
それなのに今はどうだ?購入したゲームが届いても何日も箱を開けなかったり、やり始めてもなかなか気持ちが乗らなかったり。そんな大人が多いだろう。これに関してはニートというか大人の多くがこうなりつつあるだろう。
むしろニートよりも社会人の方が仕事で忙しいし、疲れているのだからこのような状態に陥りやすいと思う。せっかく気兼ねなくゲームを購入できる経済力を手に入れたのに、いざとなると時間と気力がないというのは少し虚しさを感じるが、やはりこう言った事実があるのはわかる。
ならニートなのにゲームが続かないというのはどういう現象なのか。
ニートには関係ねーじゃん。ニートのくせにふざけたこと言ってんじゃねええ!と罵声を飛ばすのは少し待ってほしいです。
実際ニートである僕ですらその現象に陥ったことがあるんですから。
時間もエネルギーもあるのになぜこんなことになるのか、僕は自分の経験から導き出しました。
こんなことをしていて意味があるのか
さっきの社会人の話に反して我々ニートには職がないのである。
つまり人より時間がある分ゲームをする時間は当然ある。
だが時間がある分他にも色々なことをない頭で考える。そうすると今の自分の状況、先の不安、焦りなどが込み上げてくる。このような背景、気持ちを背負っている状態だとどうにもゲームを楽しむことも難しくなってくるのだ。
本を読んだり、YouTubeで自己啓発系の動画を見ているときはなんか自分が
成長している気になり、実際は人生一歩も先に進んでいないのだが進んでいる気になり安心できる(こうやって自分に現実逃避をさせ、日々延命している)
だがゲームに意義を見出すのは結構に難しいことなのだ。
表面的にはどちらも現実逃避には変わりないのに、下手に意義を乱そうとする体になっている(後ろめたさから)のでこんなことやってもな、と斜めな見方をするようになり楽しめなくなるというまるで地獄だ。
しかも動画とかはパッと見れるし時間がかからないのに対し、ゲームは本腰入れてやる感じがしてハードルが高くなる。ゲームはやりたいからやる。が1番自然なのにそれができなくなっているということだ。
終わらない怖さ。
特にソシャゲなんかはアップデートで新要素がどんどん追加されるし、最近ではコンシューマーゲームでも同様に追加要素などが配信される。いわば半永久的に遊ぶことができるのだ。
これは先程の「こんなことやっていてなにか意味あるのかな」という悩みに直結してくると思う。
この終わりのない感じ、飽きたとしても「ここまでや時間を費やしたのにここで辞めるのはなー」とか、課金なんかしてたもんならすごく勿体無いとかそういった理由で
自然と義務的に、作業的になってくる。それでもここまでやったしなとか。疑問や違和感を感じながらやっているわけで、当然こんな気持ちでゲームをしていても楽しいわけがない。
こんなんだからニートはやはりろくなもんじゃない。